2009年7月24日金曜日

初めてのバンコク

ホテルにテレックス(なつかしい)で予約して、小さなバッグを抱えて成田へ。ビール飲みながら、外国への気分をかみ締める、お気楽な独り旅だった。ドンムアン到着は深夜だった。イミグレ、カスタムを通過して出た先は異様な世界だった。色黒で小柄な人たちが、不思議な匂いを発している。何か分けのわからない言葉を喚きながら近寄って来る。私は掻き分けながら両替を探し、タクシーを捜した。深夜3時にバスは無かった。それ以前にホテルの場所がわからない。ちょっぴり心細くなってくる。「あらあ~」と日本語が聞こえた。ノースウエスト機で隣だったおばさんとばったり。「方向同じだから乗ってく?」のお誘いに、おばさんのガイドの車に便乗。深夜のセントラル・ハイヤットに到着した。おばさん達はインドラ・リージェントへ。アメリカンな何もかも大きなホテルに寛ぎ、疲れにすぐ寝た。

2009年7月23日木曜日

勢い

始めは沖縄に行くつもりだった。急に7日間の休みが取れたのだ。航空券を手配している内に、「8万円なら、東南アジアと同じじゃん」と急に東南アジアに変更して「明後日から」と旅行会社に電話した。無理だった。来週からなら、と断られた。むらむらと天邪鬼が出てきた。「行ったろうじゃん」と次々に政府観光局に電話した。フィリピン駄目、マレーシア駄目、シンガポール駄目、タイ「行けますよ」。それでタイに行く事になった。1988年バブル絶頂の夏であった。

2009年7月20日月曜日

またもアジアへ

東南アジア、なかんずくタイは特別な場所である。同じ地球上とは思えない程、ゆったりと時間が流れ、物憂い時間が過ぎてゆく。何時までに是を終わらせ、次に此の問題を、などと力んでいた自分が、アホに見えてくる。「マイペンライ」とタイの人は言う。「しょうがない」と日タイ辞典に出ているが、かなりちがう。タイは長老派仏教の国である。仏像は全て釈迦で、全ては2600年前に釈迦が決めた事である。麻生が首相になったのも、21日に解散に踏み切るのも、2600年前にお釈迦様の決めた事なのである。だから、「マイペンライ」なのである。この世の事は「マイペンライ」で「サバーイ」=「気持ちよい」ことを求めるのが人生なのだ。そんな空気にドップリ浸かって、ふらふら歩くのがアジアのタイのたびなのだ。